野菜・水稲農家(H26年就農/赤磐市)
橋本 彰宏 さん
地域の農地を継いでいきたい。継ぐつもりのなかった田んぼを継いだ若手農業経営者の挑戦
サラリーマンから兼業農家だった親の田んぼを受け継いだ橋本彰宏さん(30歳)は、最初は「嫌だった」農業で自身の夢である「起業」に挑戦。農業の経営を通して地域とのつながりのありがたさに改めて気づき、担い手としての自覚にも芽生えた。
敬遠していた農業の可能性に気づく
実家が兼業農家だった橋本さんにとって、稲刈りの時期には家族で田んぼを手伝うなど、農業は子どもの頃から身近な存在でした。当然のようにあとを継ぎ農家になったのかと思いきや、「農業をしたいとは思っていなくて、田んぼを継ぐのも嫌だった」と意外な答え。そんな橋本さんが農業を継ぎ、規模を拡大しているのにはあるきっかけがありました。
実家のある赤磐市ではなく岡山市内でサラリーマンをしていた橋本さんは「自分で何かをしたい」と起業のチャンスを伺っていました。そんなとき同僚に大規模経営をする農家を紹介されます。農業で起業という選択肢をまったく考えていなかった橋本さんでしたが「倉庫や機械の設備など、一般的な農家とは比べものになりませんでした」とその規模に衝撃を受け、農業経営の可能性を感じつつ、あることに気づきます。
「農業であれば家の田んぼもあるし、地縁もある。起業する原資になるんじゃないか」。決して継ぐまいと思っていた農業でしたが、それが「起業」という自分の夢を叶えるためのもっとも身近で大きな資源だった事に気付きます。
創業期を助けてくれた地域の縁
農業での起業を決意し会社を退職。実家の1haの田畑を基盤に事業の拡大に取り組みはじめた橋本さん、「農業はもうからないといわれるから、自分で考えて行動をしないとダメだと思った」と持ち前の起業家精神で挑みます。
「稲作は面積をこなさないとお金にならないので、はじめから野菜をつくりはじめました」。初年度は、設備投資が少なく小面積でも収入が見込めるオクラ、ほうれん草、小松菜に挑戦。
インターネットや農業普及指導センターからの資料を参考に生産したところ「オクラはうまく収穫できたけれど、ほうれん草、小松菜はいまいち」。やはりそう簡単にはいきませんでした。販路についてもインターネットで調べたり、直売所に出したり、手探りでの経営が続きます。
「資金も大変でした」と橋本さん。大規模農業を目指すものの運転資金の捻出のため夜はアルバイトに追われる日々。設備投資に資金を回す余裕はありませんでした。
そんな中、父親の知人の大規模農家に「うちに来れば勉強にもなるし、収入にもなる」と声をかけてもらいアルバイトをすることになります。おかげで夜のアルバイトを辞め農業に専念できるようになりました。「ものすごく助けていただきました」と橋本さん。もうからないと言われる農業に疑問を持ち、独学で挑戦した橋本さんでしたが、助けてくれたのは地縁の地元の農家でした。
地域の人に感謝される農家を目指して
地縁に恵まれた橋本さんが現在営むのは、実家の水田1haに加え、水田5haと畑2ha。順調に規模を拡大し、米、オクラ、キャベツ、ほうれん草を生産しています。
橋本さんに就農して一番うれしかったことをたずねると「地域の人に感謝されるのが本当にうれしい」と迷わず笑顔で答えが返ってきました。高齢化による農業の担い手不足の中、維持の難しくなった田畑も多くそれを引く継いでくれる橋本さんの存在は地域にとってありがたい存在なのです。
「最初は地域のためにという気持ちはあまりありませんでした。けれど、いまは自分がこの地域の農地を守っていきたいと思っています」と橋本さんの自覚も十分です。
今後は、友人を加えてさらに拡大を目指すという橋本さん。畜産農家との飼料と堆肥の地域循環や他地域の同世代の農業経営者との交流など、やりたいこと、アイディアは山積みのよう、「家族はまだやるのと?心配そうですけど…。」と笑う若手農業経営者の挑戦はまだまだ止まりそうにありません。
(TEXT:ココホレジャパン)
就農までのポイント
・ 赤磐市(岡山県)を就農地に選んだ理由
実家の農地や機械があり、これらの生産基盤をもとに規模拡大していこうと思ったため。
・ 農地の確保について
最初は実家の農地から始めたが、規模拡大には苦労した、現在は地域の方から借りて欲しいとの声が多く、栽培面積は8haまで拡大した。
・ 資金の確保について
最初は実家にある機械を使用していたが、規模拡大に伴いトラクターを制度資金を活用し購入。
・ 技術の習得について
自分で調べることが多いが、技術指導する機関(JA、農業普及指導センター)からも情報収集している。
・ 相談相手は
地域の大規模に経営している農家の方に経営面も含めて相談している。